ガチ恋は フラれてからが 始まりだ

どこかの推しにフラれたどこかのファンのブログです

ブランドラベルの剥がれ落ちた推しでも愛せるか

こんにちは、+思考さんです。


もーいーくつねーるーとー現場あーるーーーー。
いくつだろう…いくつ寝たら推しに会えるんだろう。手紙書いて服決めないといけない時期に来てるのだけは間違いないです。


「君達がお金を払っているのはカバンではない、カバンについたそのマークに高いお金を払っているんだよ」

高校の時、現代文の先生に言われた言葉です。
「人は何故ブランド物の商品を購入するのか?」という議題のオチに先生が言っていました。
何故その議題に辿り着いたのかはさっぱり思い出せないのですが、そもそもは何の話だったんだろう。


高校の頃はブランド物に何の興味もなかったので、それを聞いても「へーえ、ほーお」くらいにしか思っておりませんでしたが、自分がそこそこの年齢になってきて、ちょこちょこ購入する事が増えました。

確かにあるんです、「このブランド・メーカーが好き」って感覚。
販売されている物が全て好みなわけではないけれど、比較的自分の好みにストライクな物が発売される。「新作出たよ」と言われれば、「じゃあちょっと見てみようかなー」となる。

逆に言えば、「あそこのブランドはちょっと違うかなー…」とか、「有名だけど好みじゃないんだな」みたいなブランドもあります。

でもよく売っているじゃないですか。明らかにグレーゾーンな類似品。
「なんかこれ…見た…見たことあるけど違っ…!?ああロゴ微妙に違うわ!」みたいな感じの。私はそういうものは購入はしないのですが。


気付いたんですよ、推しもこれに近いと。
推しって、「推しである」事が最強のブランドなんだな!と。推しが出演してたらとりあえず気になるし、とりあえず見ますし。
「推し」というブランド名を見ると、商品(チケット)購入に意志が傾く感覚と言いますか。ああ上手く言えない。

だから逆(?)もあるのかなと思ったのです。
ちょっと例えとしては違う気もしますが、万が一私が推しの彼女になる→その後、仮に推しが引退する。

ステージの上で輝いていた「推し」からブランドパワーがなくなって、ただの人になる。
まあ極論まで考えた結果、「推しが私のヒモになっても愛せるか?」に行き着いたんです。凄い大袈裟でしょ、知ってる。


以前別エントリで書きましたが、推しの仕事がゼロになった経験がある身からすると、引退しないにしてもまた仕事がぱったりとなくなる確率もゼロじゃないよな…と思うんです。
じゃあ無収入の推しを私の稼ぎで支えれる?目の前に推しがいるけどステージの上じゃない。いつステージに上がれるか分からない推しを見て幻滅しない?って、また自問自答の日々です。

悶々と考えた結論が、「仮にボケたとしても推しの紙オムツを変える気概を持とう」です。フラれたガチ恋の行き着いた先、自分の事ながら狂いすぎてて笑えます。
結婚もしていないのに介護する気なのかと自分に問いたい。


…何が言いたかったんでしょうねえ。こういう事はTwitterに書いておくのが一番なんですけどね。

一秒先の未来の事も分からないけれど、この瞬間、私は推しの事を世界で一番大好きなのです。
推しの為に死ぬ気はありませんが、推しと一緒に生きていきたい。

まあなんだ、皆様、焦らずマイペースでガチ恋しましょう。人と比べても意味ないですからね。
私は私のガチ恋を貫く為にいい加減現場に着ていく服を決めます。あと荷造り。


+思考さんの質問箱
https://peing.net/ja/plus_shikou


全てのガチ恋に幸あれ!